20年の出せない手紙

 

 

自分がV6のファンになって20年になる今年

個人的な節目であり、V6が25周年で叶わなかった事があって、2021年は25周年の延長戦をするようにも感じていて、この1年楽しみにしていました。

 

 

2001年にドラマ「ネバーランド」と出せない手紙に出逢って以降、自分の人生にはV6がいました。

子供だったからコンサートに行くことやCD、DVDを買う事は叶わず、ただただ毎日のようにTVにかじりつき、ビデオに録画してた。

 

少し経ってお小遣いを貯めて、初めて買ったCDはDarlingでした。

3週連続でMステに出て毎回違うアクロバットを見せてくれた事を覚えている。

「怖くてリハではやってないんですよ」って本番ボーイズの爆誕にも立ち会った。

その2、3ヶ月後にはTV史に残るタトゥーの生放送ボイコット。あの日もV6はcosmic rescueのリリース時期で2週連続出演とかで。V6のおかげであの歴史的1時間にも立ち会うことになった。

初めて買ったDVDはcosmic rescueだった。ウチには再生機もないのに、とっておいたお年玉でディスクを買った。

サンダーバードがかっこいいと友達と語った。ありがとうのうたを大切な人の門出に贈った。

自分の日常にはV6がいました。当時、土曜日より日曜日より火曜日が一番好きな珍しい学生でした。

 

一時期、離れた事もあったけどシングルリリースの知らせを季節の挨拶のように受け取っていました。

 

近づいたり離れたりして大人になって、そのころからV6との距離はより身近で髄になってきたんだと思う。

コンサートや舞台に行けるようになった。現場やDVD、雑誌等で語られ考え方や見られる姿勢を知る機会が増えた。

エンターテイメントに身を置く表現者としての、その熟練された技術と圧倒的な存在にシビれた。

6人それぞれの仕事や人に対して実直で誠実で思慮深く、時に恐ろしくすら感じる洗練された厳しさ、人を想う優しい気持ち…

子供の頃はただかっこいい明るく楽しいお兄さん、ポップアイコン的に好きだったけど、大人になってからはエンターティナーとして、人生の先輩として深く敬愛するようになった。

人としての憧れであり心の拠り所であり、V6が重ねている日々は、自分の人生と重なった日もそうじゃない日も愛おしい宝物になっていました。ちょっとずつ増えていくのも嬉しかった。

 

 

 

2021年3月12日 15:36

FCのメールで16時に大切なお知らせがあると告知がありました。

普段V6から報告があると予告される事はほとんどなかった。ツアーもCDリリースも結婚も突然発表された。

(今思うと一番に自分たちの口から他意を含まない純粋なV6の言葉をファンには届けたかったんだと思う)

自分がネガティブな人間と言う事と今までに無い予告に、いい知らせとは思えずとてもとても怖かった。ひとりでいたし。

 

16:00

少しサイトが重く、やっと繋がったと思ったらFCにログインできず。パスワードが合わないとかなんとか。大事な時に何やってんの。怖さも相まって焦る。兎に角状況を把握しようと最悪な一手を打ってしまう。

Twitterを開いた。「解散」の文字を見てしまう。いろんな他人の感情が流れ込んでしまった。急いで閉じた。

何も考えられなくなった中で唯一出てきた判断は「本人の言葉を聞こう、事実とその理由を本人達から」だった。

予告された事は恐怖になったが救いでもありました。

 

どうにかログインして文章を読むけどパニックで文字が滑るばかり。

動画を見る。やっぱり内容はあまり入ってこないが、いつもに近い雰囲気にすこし落ち着きました。

井ノ原くんが「解散」と音声にした事で事実だと腑に落ちた。その後「長野くん!お誕生日おめでとう!!」って言って欲しいなとも思った。

(アドリブ6と言う即興劇の企画で、色々ストーリーが展開した最後に全部無視して、全てが長野くんの誕生日ドッキリだったと言うオチに井ノ原くんが発したセリフ)

全てを受け止めきれないし自分の気持ちも整理できない。

 

 

 

一日経った今もまだ受け止めきれていないし整理もついていないけど、

現時点でV6の解散報告を受けて思う事。これから変わっていくかもしれないけど。

 

 

 

まず自分たちの声で言葉でしっかり伝えてくれた事に感謝しています。

色々なメディアで報道をされているけれど、どれもFCでの文章と動画との印象が違う。同じ言葉や事実が述べられているけど、V6本人達から聞くのと本人達じゃない人から聞くのは天地の差がある。あたりまえだけど。

どこかから漏れ聞こえてくることもなく、一番にV6の口から聞く事が出来て良かった。

彼らはいつだってそうだった。

 

 

それからファンを気遣ったメッセージ。悲しませたりショックがある事をすこしでも和らげようといつもの雰囲気に近づけて、冗談まじえたり。

一人でパニックになりながら見ている時に「一人で聞いてる人もいるかもしれない」と言葉にしてくれてどれだけ解放されただろう。ずっとファンに対してきちんと向かい合ってきて来た人達なんだと改めて実感しました。

 

 

終着点の決め方もとてもV6らしく美しく、悲しいほどにアイドル

V6は数字をポイントにしてくる事がままあって。最近で言うと25周年のコンサートの開始時間は午後6:25だったり。本人達もV6を愛している事が表現されているようで好きで。

報告をした3月12日の数字は足してもかけても6。16:00。26年(2→ピースサイン→Vと6)で区切り。

どこまでが意図してるかはわからない。関係各所との事情や、偶然もあると思う。

 

2020年の6月のハッピーライブで初披露となった「full circle」という曲。

出発は1995年11月1日で終着は2021年11月1日。V6と言う円を一周して完結させる。

当時はこれまでの道のりと25周年にたどり着きまたその続きへの決意の歌ったように感

じていた。真意はあの時感じた事とはちょっと違ったのかもしれない。

そのあたりもとてもV6らしいなと感じていて。ほとんど多くを語らない。いろんな意味を含んでいる中で真意を探る。“正しい答えはひとつじゃない”。V6という虚像でい続ける悲しいほどにアイドル。

 

 

自らで終着点を決めた事。

自分はいつか終わりは来ると片隅にしまい込みながらもそれを持ってV6を応援していました。少しでもその日が遠くなる事を考えながら。

歩みを止める理由なんて無数にあるけど、思っていた何十倍何百倍何千倍も良かった。

変な話、最高の終わり方なんじゃないかと今は感じています。

何度も自分とメンバーと向き合い考え話をして自分たちで選択した。

「だれのせい、なにかのせい」ではなく「6人それぞれの人生の為」だった。

その事を、ファンとしてとてもとても誇りに思う。世界よ、V6の6人はすごいんだぞ!

 

 

ここまでポジティブなとこを書いてきたけど、ネガティブなとこもあって。

寂しい。とても寂しい。

V6というグループがなくなる。V6の26年は一生大切なものとして残る。社会にも残る。けど、その日が来てしまうと、「今がいちばんであること」は更新はされないのだなと。今はどうしたって過去になる。

自分の人生においても大きな存在で敬愛する6人の選択を受け止めたい、6人を尊重したい。彼らの人生だし。その選択を拒否するつもりはない。6人が選んだ道の事実に関してはもう受け入れている。ただただ途方もない身を裂くような痛みに襲われています。

 

ただ、残された時間を使って嘆いているのはもったいないとも。

寂しい気持ちは何とか頑張って、段ボールかなんかにいれてガムテープでガチガチに封して箪笥の奥にほうりこもうと思う。嘆くのはその日以降でも出来るので。

その日までこれまで以上に沢山愛して笑って最後まで6人で踊りきる彼らを見届けたい。

これからの233日もファンの為にって彼らは日々を重ねるんだと思う。

それに対して笑顔で返したい。V6のおかげで幸せだぞって伝えたい。それで、「良かった」って思ってくれたら嬉しいかな。6人には幸せでいて欲しい。

彼らが刻む、いつか思い出すファンの顔は、幸せな顔だったら最高じゃん。

 

 

あと、個人的な話、V6最後の日にFCから自分の誕生日カードと動画が届くんですよ。

年齢は言えないけど節目で。なんの運命なんですかね。

その動画を笑ってありがとうと言える為の233日にしようと思ってます。。

 

6人のV6としての26年、9479日の日々へ敬意と感謝を。

 

 

 

取り留めなく書きましたが今はこんな感じ。